1-1.生活:結婚生活~事実婚

「1-5-1.成長戦略の中核に『女性の活躍』!?」で、根幹は人々の意識が問題、ということを書きました。
ところで我々夫婦は事実婚、子供なし、共働きで独立経済共同体、それぞれの役目はとくに決めず臨機応変に、という状態です。そもそもの発想が「梯子のイマージュ」なので、必然的にそうなった、とも言えます。
我々の間では男がこれをやるべし、女だからこれをやるべし、という意識がほとんどありません。良しあしはあるとしても、みんながこうした意識であればとりたてて首相が「女性の活躍を」なんて言わなくてもいいようになるのでは、と思います。

で、今回は一例として、私の結婚生活について触れます。


<<事実婚>>
なぜ入籍しなかったかというと、日本の戸籍制度は差別的ゆえ賛同できないからです。
明治の家父長制が残っていて、女性や子供に差別的で、「個人」が大切にされているとは思えない。
私は出来のよくない法学科の学生でしたが民法を勉強したときに思ったのがこの点でした。そしてこれは私の結婚観のもとになっている「梯子のイマージュ」に合いません。
別姓にしたかった、というわけでもありません。事実婚の夫婦で姓を気にする人は多いようですが、二人の人間が対等に、という点だけが大事だったので姓にこだわりはありませんでした。なんなら夫婦になった記念に新しい姓をつけようか、という極端なことを話たりもしていました(今の法律では確か出来ません)。「家」という概念があまりない、という言い方になるのかもしれません。名前にも拘りがないかもしれません。
なにせ私が気になるのは、戸籍にしろ、国籍にしろ、この国では「個人が個人として在る」ことが認められにくい制度がいまだ多いということです。そしてそれはやはり根本的に人々の意識が変わらないから、だと思っています。
事実婚に関連して、のちにこんな本を見つけました。

このなかの結婚に対する考え方については、私の考えとほぼ同様の見解が多いです。


<<独立経済協同体>>
ソ連が崩壊したのちに一瞬、エリツィンによりCISという独立国家共同体ができました。すぐにつぶれましたが。
別にそれに倣ったわけではないですが、なんてことはない、それぞれの財布はそれぞれのものとして、別途「共通財布」を用意しているだけです。
この共通財布の機能はこのようなかんじです。
それぞれの稼ぎから定期的に、決めた額を共通財布(および口座)に入れ、光熱費と共同の生活費(食、住)はこれで賄います。それ以外は各々好きに使ってよいわけです。家計を仕切る夫(妻)が妻(夫)に毎月の小遣いを渡す、というようなことはやりません。家計はExcelで作ってある共通家計簿に記録してあり、これは協同で管理。それぞれ出しあう額や支出の方向性など、適時協議のうえ経済政策を決めています。
共通財布以外はそれぞれが外食やら衣服やら習い事やら投資やら貯金やら、自由にしてよいことになっています。
けれど夫婦なので、いざというときには金銭的にも互いに支援しあう、ということは当然の合意事項です。


<<役目は決めずに臨機応変>>
臨機応変である一方、お互いの好みとか趣向に基いてだいたいのことはおのずと決まっている感はあります。
例えば掃除は私、料理は相棒、など。私が毎日終電帰りの生活だったころは相棒がほとんどのことをやってましたが、今は私が家に居る時間が長いので、平日の料理は私がやります。
基本的に双方が掃除も洗濯も料理もできるので、家事に関して言えばすべて状況に応じてやっています。
そのほかは、適時声を掛け合って、忘れているところなどを補ったり得意なことをやったり、でもがんじがらめにしたり義務化はしないようにしています。
結婚するときからこんなふうにしよう、と合意の上でやっているのであまり揉めたことはありません。

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けっこう自由な発想や意識で暮らしているようなそうでないようなこの国には、ある考え方はないことのように扱い、特定の考え方だけを前提に、選択の幅が少ない法律や制度を作ってしまっている状況と、そうした状況をつくってしまう(あるいは許してしまう)人々の意識や認識、はては「空気」というのか、非論理的な謎のモノがあるように思います。
それが変わらないとどうにもならないと思います。
結婚の形にしろなんにしろ、もう少し個を前提にして、それぞれの考え方で自由に選べる選択の幅を持てばよいのではと思うだけの話です。経済の世界なら、規制緩和という一言になるのかもしれませんが根っこは多様性を認めることだと思います。

多様化してきたから認めよう、というのではありません。私は日本は社会主義的だと思ってますが北朝鮮ほどではないので、複数の人がいれば多様化するのは当然だし既にずっと前からいろんなことが多様化しています。多様化なんて存在しないかのように組み立てられているだけの話(言うなれば、少数派が認められていない)で、それをほぐすべき、というわけです。
それにはともかく、一人一人の認識が変わらないといけないと思います。

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